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意思を再確認したうえで、さらに患者本人の同意を得て、医師はその苦痛を除去することを目的とした治療を行なう。
その治療とは患者の死期を早める医学的処置のことである。
安楽死には「消極的安楽死」と「積極的安楽死」があるとされている。
その分かれ目は、前述の段階にある。
「患者の死期を早める医学的処置」というときの「早める」を、積極的に行なうか、消極的に行なうか、の違いである。
消極的安楽死は、苦痛をやわらげ除去する以外の治療は行なわないことである。
その場合も、栄養を補給するためのカンフル注射をするか、注射をするとなればどの段階まで行なって、生命を延長させるべきか、その点でも考えが分かれていく。
大阪市立大学名誉教授の中山研一(刑法)は、法律上の立場から、苦痛を除去するだけの治療(麻酔剤などを使用することで副作用として生命が短縮される危険も伴う)を、「間接的安楽死」と呼んでいる。
生命延長の処置をまったく行なわないで、そのために死期が早まる場合を「不作為の安楽死」といっている。
間接的安楽死も不作為の安楽死も、日本ではまだ裁判で争われるケースはでていない。
これに対して、積極的安楽死は死を加速度的に早める処置である。
中山研一は、「死苦から免れさせるために、直接に首を絞める、致死量の青酸カリ溶液を飲ませるなどの殺害をした場合」といったケースとしている。
医師の側でも、京都大学学部名誉教授の日・Kが、「医師が致死的薬剤の投与などにより死期を比較的急速に早める安楽死」と定義するように、医師や患者の肉親による強い意思がこもっている点に特徴がある。
これまでの日本の安楽死裁判は、すべてこの積極的安楽死をさしている。
嘱託殺人、承諾殺人として刑法上の責任が問われている。
安楽死と尊厳死の相違については次章で詳述するが、尊赦死は消極的安楽死に近い意味をもっている。
こちらは「人間としての尊厳」を守るために、激痛の拒否、思考や判断を失っての人工生命維持装置の拒否といったニュアンスがこもっている。
現在、哲学、倫理学の立場から、安楽死についての考察も進んでいる。
純心女子短期大学教授で上智大学神学部講師の宮川俊行は、安楽死を「合理主義的発想に支えられて、他者の生命を多かれ少なかれ死の方向に意識して、人為的にコントロールしようとする人間的行為」と定義づけている。
そのうえで宮川は、十九世紀末以来一般に論じられてきた安楽死を次の四つに分けている。
非理性的、非人間的生命のあり方を拒否する尊厳死的安楽死(これを尊厳死と呼ぶべきであろう)、口厭若死(鎮痛の可能性のない身体的苦痛に伴われた生命の拒否)、日放棄死(人間は共同体の他者との関わりをもって生きるが、苦痛を伴う患者のために共同体が崩壊し放棄されていく中での死)、淘汰死(共同体存続のために患者の生命が淘汰された状態に追いこまれての死)である。
一人の生命を共同体の他の人間との関わりの中で捉えた考え方で、安楽死を他者との関係で解析しようとの意味をもつ。
だがこうした指摘は、安楽死を近代社会の理念で捉え直そうという学究的分析で、一般ではまだそれほどまでに安楽死の見方を深く煮つめていない。
しかし、今後はこのような方向の論も詰めていくべきだと思われる。
日本で安楽死が法廷で論議されたのは、昭和一一十四年五月の「母親殺害事件」が最初であった。
この事件は次のような経過を辿った。
東京に住むA青年(在日朝鮮人)の母親Bさんは、戦後祖国に帰る希望をもっていた。
ところが、Bさんは脳溢血で倒れ、全身が不随になった。
肉体的不自由に加えて法的手続きがうまくいかないこともあって、帰国ができなくなった。
やがて、「こんな状態なら死んでしまいたい」と口走るようになり、A青年に「殺してほしい」と頼み続けた。
A少年も精神的にもバリを失ってしまった以上、Bさんの希望に沿うことが親孝行だと考えるに至った。
そこで青酸カリを入手し、それを水に混ぜてBさんに飲ませたのである。
そのためにBさんは死亡した。
嘱託殺人に切り換えた。
Bさんが執拗にA青年に殺してほしいと頼んでいたのがわかったからだ。
弁護側は「これは明らかな安楽死であり、Aは無罪である」と主張した。
だが検察側は、日本にはまだ安楽死の立法例も判例もなく、しかもこの事件は刑法の解釈からいっても、安楽死と認めることはできないと主張し、「仮にこれを(安楽死と)認めうるとしでも、そのためには最低の要件としてまず相手が重症あるいは死期の切迫した病人であることを要する。
そしてそのような事実を的確に判断した上、相当な処置をなす能力を有するのは医師のみである」と結論づけて、A青年を厳しく断罪した。
この論に弁護側は安楽死として譲らず、A青年の行為は正当な業務行為(刑法三五条)であり、緊急避難行為(刑法三七条)にあたるとして、安楽死の法的根拠を求めた。
東京地方裁判所は、次のように裁いた。
まず刑法三五条についての解釈では、Bさんが現代医学では回復不能な不治の病にかかっていたことは認めたが、そのために肉体的苦痛におちいっていたとは認められない。
また、精神的苦痛が大きかったことも認めるにしても、A昔年の行為は正当行為には当たらない。
次いで刑法三七条では、精神的な苦しみがあるからといって、肉体的な死がそれを終わらせることには結びつかない。
結局、A青年には懲役一年、執行猶予二年の判決がいいわたされた。
日本での安楽死裁判第一号のこの判例は、幾つかの枠組みを明確にした。
その第一点は現行の法律では安楽死の判断ができないこと、第二点は安楽死の医療処置は医師のみによって行なわれるべきであること、第三点は疾病上の苦痛こそが対象であり、精神的苦痛は対象外であること、ということである。
当時、日本の医療水準は欧米に比べてはるかに低い上に、苦痛の伴う疾病や心臓病などは初期の投階で死亡につながっていた。
現在のように延命医療は行なわれていなかったために、苦痛という意味には、疾病が不治であることの精神的な苦痛という点も大きな要素を占めていた。
この点で現在論じられている安楽死の枠組みとは、明らかに異なっている。
この裁判が続いている問、弁護側の加藤隆久や滝川政治郎は、安楽死の考え方を積極的に社会に広めようと、日本安楽死協会の設立も試みている。
しかし、その考えはほとんどといっていいほど広まらず、むしろ消極論、時期尚早論、それに無視というかたちの反対論が圧倒的に多かったのである。
昭和二十四年、二十五年といえば、国民の大半は生活苦と闘う日々をすごしていた。
戦後復興の中で、このような論争に関心をもつゆとりがなかったともいえるであろう。
当時の医療制度は現在のように完備していたわけではない。
医師に診察を受けるのは、経済的な負打も大きかった。
加えて医療現場では、医師と患者の関係はタテの関係であった。
「診察してあげるから文句はいうな」「黙っていう通りにしていろ」という時代であり、患者は医師の言葉に何ひとつ逆らえない時代でもあった。
患者の権利など思いもつかない時代であり、患者は全人格を医師に振られていたのである。
しかし、当時と比べると、現在は悪者の権利が飛躍的に拡大している。
医療現場の密室性も変革を余儀なくされている。
安楽死に至る五段階のうち、どの段階でも新しい局面が生まれているし、難しい問題もかかえている。


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